やることがいっぱい! あー、幸せ?
ここ数年、異常なまでのデジタル技術の進歩によって、人生の中で、できることが格段に増えたと感じる。
趣味を極めようとオンライン講座を受け、省けた移動時間はYouTubeを見る作業にあて、本は要約される時代。
もはや情報を得るのにこれまでの1/10の労力で済むようになった。
イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、このような未来を予測していた。
2030年の世界では人々は週15時間ぐらいしか働かなくなるだろう
『孫たちの経済的可能性』
消費社会の加速によって、ケインズの予想は外れたとも意見する人もいるが、以前より優しい環境で稼げるようになった時代で、一日4時間ほどの労働
(体感も含む)で生活できている人は少なくないと思う。
人々は退屈を埋めようと外部に刺激を求めるが、今ではその刺激があまりにもインスタントになってしまった。
一度きりの人生、できることなら体験を詰め込みたくなるのが人間の性。
現代ではそれが容易にできるようになった。
でもどこかおかしいんだよ。
いっぱい物事をやったようで、一日の終わりには何も残ってないの。
そんなもどかしさを解消してくれる本だった⇩
こんにちは、うれいなつです。
最近健康のためにアーモンドを食べすぎて軽い腹痛を催しました。
思えば私も、飽き性な性格なのでこれまで様々なことに手を出してきた。
ソフトテニス、陸上、薬学部、サッカー、映像制作、デザイン、イラスト…あげればキリがない。
けれど、そのうち現在でも続いているものはほぼゼロと言ってもいい。
私の人生はエッセンシャル思考の表紙の黒いぐちゃぐちゃみたく混沌としていた。
もしも、ひとつの同じことを十数年続けていたらと思うと戦慄する。
成功はしなくとも、何かしら大きな成果は残せていたはずだ。
物事を極める際に、量と質どっちが大事問題があるが、それは両方だし、圧倒的に時間の占める割合は高いようにも感じる。
慣れの力はすごい。
深く狭く生きたい、と思う人には、大切な一冊になると思う。
選択肢が多い現代
何かをやろうと思ってネットで調べた際、まずその情報量の多さに圧倒される。
もはやネットにない情報はないと言ってもいいほど現代では、未知の分野・わからないことがない、という喜びのようでいて悲しい状況になりつつある。
人は情報を無限に追い求めるきらいがある。
どの商品や転職先が最もいいのか、ベストを探そうとする。
正義中毒という言葉が流行ったように、人は「正しさ」が好きだ。
人は情報に使われている、と言ってもいい。
かつての人類は100人単位の村で暮らしていたので、裏切りや悪い噂には敏感だったようだ。
人はネガティブを求めるように脳ができているので、現代でもその構図は変わらない。
しかし、ニュース然りあまりにも情報が増えすぎてしまって、再現なくそれらを浴びていると鬱や精神をきたすのは想像に難くない。
けれどよく考えてみれば、情報というのは無形であって、ほとんどが自分自身に危害があったりする訳ではなく(現代では特に)、ただ第三者視点で眺めるための
もの、いわば娯楽に過ぎない。
情報はあれば便利、という立ち位置に戻ってみると気楽に生きられるのではないか。
目標を完全に決める
目的が明確でないとき、人はどうでもいいことに時間とエネルギーを浪費する。
本書より
心にぐさっときた一節だ。著者の調査でも、目的がない会社は、
- 社内政治が蔓延する
- 何でも屋になる
ことで、事業の成果が上がりにくい結果となっている。
脳は怠ける習性があるので、やるべきことが明確になっていないと人は堕落の一途を辿るのだ。
なんでもやるというのは、一見器用に思えるが、そこには楽をしたいという心理も隠れていると思う。
やった気になる、状態は気持ちいいからだ。
進んでいるという感覚が人間のモチベーションにとっては大切だが、進む方向が本質と逸れていたら目的の場所へはいつまで経っても辿り着けない。
大阪から東京に行きたいのに、少し進行方向を違えるだけで、ズレの幅は時間に比例して広がる。
気づいたら東北に着いてしまうようなものだ。
今、何が重要か?
過去も未来も人の脳が作り出した幻想だ。
なんであんなことをしてしまったのだろうという後悔、将来お金が足りなくなったらどうしよう、などの未来への不安。
そんなものは、妄想でしかない。
私たちは物理的に今を生きることしかできない。
そして今を生きた先に、その結果としての過去と未来が生じる。
つまり、両者は足跡のようなものである。
しかし足跡であるから、姿形は明確には捉えることができない。
未来を足跡だと表現するのはおかしいと思うだろうか?
しかし、時間の流れを過去⇨未来と捉えるのは西洋的価値観でしかなく、そもそも江戸時代までは、時間は未来から過去へと流れているというのが常識だった。
明日の19時には寿司屋を予約してるから、その直前はご飯を食べないでおこう、などと、私たちは行動の起点を未来に置いている。
つまり、常に逆算して考えているのだ。
いずれにせよ、未来も過去も今の行動が作り出すものなら、幻想に惑わされず、今やるべきことに全力を注ぐ方がいささか合理的だと思わないだろうか?
程よく忘れ去るという性格ないし技術は案外大事だ。
私も気づけば脳の幻影に支配され、たびたび自責の念に駆られる。
さっぱりした生き方を目指したい。
失敗した数だけ人は成長できる。
失敗をしてこなかった平凡な人生と、失敗も成功も同じくらいたくさん経験する人生。
どちらが正解という訳でもない。
が、間違いなく言えるのは両者はトレードオフだということ。
失敗のない成功だけの人生、などあり得ない。
私は好奇心旺盛で、挑戦することが大大大好きなので、これからも進んで失敗していきたい。
さいごに
「忙しい」とは、気が乗らないことを大量に抱えている状態だと思う。
好きで夢中にやっていれば忙しいなんて煩わしさは皆無だろう。
逆にもっとしたい!と思える。
生活が忙しいと感じるなら、今やっていることは本当に自分がしたいこと?
と一度自分を見つめる必要があると思う。
そしてそれは往々にして、人から与えられて任されたものがほとんどだ。
成功のパラドックスとこの本にもあったように、できるからこそ人から期待され、仕事を押し付けられるようになる。
それらを全てこなせば、人からは好印象を持たれるかもしれない。
けれど、自分の心の状態はどうだろう。
うまい言葉で搾取されているから、常に心が乾いてしまっている。
人の役に立てて嬉しい、という文句をよく耳にする。
しかし私からすると、本心ではやりたくないことで他人から感謝されるのは、嘘の快楽、つまり外側だけ綺麗な野菜のようだ、と思ってしまう。
皮の内側は、食べられないほどの腐った本体が眠っている。
健康に悪いのは明白だろう。